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建設界の巨匠逝く Part 1
2012-12-13 Thu 08:31
建築界の巨匠、オスカル・ニエマイヤー氏が今月の5日、104歳の偉大な生涯を終えました。

日本ではオスカー・ニーマイヤーの名前で知られていますが、ここではブラジルでの呼び名にしたがって「オスカル・ニエマイヤー」とします。

オスカル・リベイロ・デ・アルメイダ・ニエマイヤー・ソアーレス・フィーリョ(Oscar Ribeiro de Almeida Niemeyer Soares Filho、1907年12月15日 ~ 2012年12月5日)は、ブラジル、リオデジャネイロ市生まれの建築家。

ニエマイヤー氏の手がけた建築の中でも、もっとも有名なのが首都ブラジリアの首都計画でしょう。


ブラジリア1




1934年にリオデジャネイロ国立芸術大学建築学部を卒業後、ルシオ・コスタ&カルロス・レオン設計事務所に勤め始め、この時代に最初の設計『オブラ・デ・ベルソ(Obra de Berço)』(1937年完成)をてがけます。


同時期、ニエマイヤーが働いていた設計事務所は、連邦政府から教育厚生省の新ビル設計を委託されます。
この設計にあたって、設計事務所は当時、すでに有名だったスイス人の設計家ル・コルビュジエ(Le Corbusie)を主任設計技師として契約し、コルビュジエの下に優秀な設計技師を5人付け、すでにその才能の頭角を現していたニエマイヤーもその中に入れられました。


20世紀の建設会の巨匠オスカル・ニエマイヤー氏
オスカルニエマイヤー

ニエマイヤーが生まれたリオデジャネイロ市のラランジェイラ区
通りの名前は最高裁判事であった祖父の名前がつけられている

大きな地図で見る



慈善事業団体の建物 オブラ・デ・ベルソ
oburadeberso.jpg


教育厚生省のビル(1943年完成)
支柱に支えられたエントランスホールとその上の屋上庭園が特徴的
min-es-1.jpg


さらに1939年にニューヨークで開催された万国博覧会では、ニエマイヤーはブラジル館の設計をまかされています。
当時、英米の主要国は第二次大戦勃発のため、その工業力を戦争準備および遂行に総力をあげており、建築にはあまり関心をむける余裕がなかったこともあって、ブラジルの建築はモダニズム建築の最先端を行く事になります。





曲線美の世界


1940年になると、ニエマイヤーは当時ミナス州ベロ・オリゾンテの市長であったジュセリーノ・クビチェック(Juscelino Kubitschek de Oliveira, 1902年 ~ 1976年)と知り合い、彼の依頼でパンプーリャ湖畔の開発計画(後にベロ・オリゾンテ市のパンプーリャ区となる)をまかされます。


ニューヨーク万博のブラジル館
burajiru_pabilyon.jpg


パンプーリャのカジノ。現在は美術館として使用されている
カジノパンプーリャ


パンプーリャのサンフランシスコ教会
パンプーリャ教会


パンプーリャのダンスハウス(カーザ・ド・バイレ)
カーザドバイレ


パンプーリャ開発計画によって、その卓越した設計才能が国際的に知られることになったニエマイヤー氏は、1952年になると、ル・コルビュジエと共同でニューヨークの国連本部ビルをデザインしています。
国連本部ビルのデザインは、後のブラジリア首都計画において建設された議会事務局のふたごビルとそっくりです。
さらに1951年にはサンパウロではイビラプエラ公園を設計。サンパウロ市創立400周年を記念して計画されたこのプロジェクトは総面積が158万平方メートルという広大なもので、サンパウロ市民の憩いの場となっている(注:同公園の完成はサンパウロ市創立400周年の後の1954年となった)。



ニューヨークの国連本部ビル
ニエマイヤーの設計した国連ビル


ブラジリアの議会事務局のツインビル
niemaiya-konguresso.jpg



大きな地図で見る


イビラプエラ公園

イビラプエラ公園

ニエマイヤーが設計したイビラプエラ公園の建築群
イビラプエラ・コンプレックス

イビラプエラのプラネタリウム
イビラプエラ・プラネタリウム


イビラプエラ


イビラプエラ・ミュージックホール
イビラプエラ・ミュージックホール1

入り口のオブジェ
イビラプエラ・ミュージックホール

ホール内部
イビラプエラ・ミュージックホール内部

階段のカーブ曲線が美しい
イビラプエラ・ミュージックホール内部1




共産主義者


無神論者であったニエマイヤー氏は、共産主義者であったことでも知られています。
このため、米国で活躍する機会が何度かあったにもかかわらず、共産主義者ということでふいにしています。
たとえば1946年にヤール大学に客員教授として招待された時や、1956年にハーバードデザイン大学院の総長として推薦があった時の場合などです。

その一方、この時期にニエマイヤーの才能は広く海外で知られるようになりました。
そのきっかけとなったのは、1950年に米国で発刊された『The Work of Oscar Niemeyer』(スタモ・パパダキ著)という本でニエマイヤーの建築コンセプトを分析・評価したものした。さらに1956年には『Oscar Niemeyer: Works in progress"』という本が同じ著者から出版されます。


The Work of オスカーニエマイヤー

そして同じくこの時期からニエマイヤーは、パンプーリャの建築設計でとり入れ始めた曲線をベースとしたデザインをさらに追求発展させていきます。
サンパウロ市は、ブラジル最大の経済力をもつ州のメトロポリスとして発展しつつあり、農村部からの労働力流入による人口の急増とともに近い将来、住宅不足になることが予想されており、ニエマイヤーも建築家としての視点からこれらの問題の解決を模索しており、その一つとして庶民向けアパートと商店からなる巨大ビルの構想を練っていました。

『アパートホテル・キタンジンニャ』(hotel-apartamento Quitandinha)と名付けられたこのプロジェクトは、33階、全長400メートルという巨大ビルを建て、中に5千700戸のアパート数と学校や各種商店、サービス業などを“同居”させるというものでリオ・デ・ジャネイロのペトロポリス市に建設が計画されていましたが実現には至りませんでした。しかし、ニエマイヤーのこの構想は後ほどコパンビル(Edificio Copan)として実現。コパンビルは35階建て、アパート数1千160戸、商店街、ショッピングセンター、劇場、映画館などもその中にあり、1950年~1970年代にかけて“近代サンパウロ”の代名詞となりました。ニエマイヤーはこの時期にベロオリゾンテ市にニエマイヤー・ビルとして知られているビルの設計も手がけていますが、コパンビルとよく似たデザインであることがわかります。


実現しなかったアパートホテル・キタンジンニャの完成想像図
アパートホテル・キタンジンニャ


マンモスアパート・コパンビル
コパンビル

建設工事中のコパンビル(1950年代)
コパンビル建設中

ニエマイヤー独特の曲線が特徴のコパンビル
コパンビル1

ベロオリゾンテ市のニエマイヤー・ビル
ニエマイヤービル


ちなみに、後の話になりますが、ブラジルの独裁政権時代(1968~1985年)、迫害を逃れてフランスに一時亡命していた時にフランス共産党本部ビルの設計をしています(1966年)。1945年に共産党に入党したニエマイヤーは活発な活動を行い、亡命中はモスクワを訪問し、ソ連共産党要人と会ったり、レーニン賞を授賞したりしています。ほかにも、キューバーのフィデル・カストロ首相と何度も会ったりしています。
そして1992年にニエマイヤーはブラジル共産党の党首にまでなっていますから、根っからの共産主義者であったことがわかります。

フランス共産党本部ビル

フランス共産党本部ビル1

フランス共産党本部ビル2


Part 2 へ続く


   

   
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