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宇宙開発の歴史 Part 3 ”輝かしい月面の一歩 アポロ11の快挙”
2011-06-29 Wed 11:54
前回は、ソ連(現在のロシア)政府が「ボスホート計画」につぐ「ソユーズ計画」を1964年8月に承認し、革命50周年にあたる1967年に有人月周回を、また1970年には有人月面着陸を目標としていたことを述べました。

近代宇宙開発の歴史を見る上で重要かつ忘れてはならないのは、宇宙開発事業というものは、ただ単に技術的にソ連(現ロシア)が優れている、いや米国だといった次元だけの問題でなく、政治的、経済的なウィイトが極めて大きい事業、すなわち、その国の宇宙開発政策・決定および宇宙開発事業への資金投入額によって、発展するか沈滞するかが決まってしまうということです。

初の月周回軌道飛行を成し遂げ帰還したゾンド5号(ソユーズ型無人宇宙船)

7K L1S MIK zond5


ゾンド5号の軌道(クリックすると拡大します)

zond_trajetoria1.jpg



ソユーズ1号の事故

この時期、ソ連の宇宙開発事業は相次ぐ不運に遭遇します。
まず、1966年1月に、それまでソ連の宇宙開発の主力牽引車でもあった第1設計局(注:OKB-1とも呼ばれる。設計局は欧米の航空会社に匹敵するソ連の国営企業。現在のRKKエネルギヤ社)の総責任者(主任設計者、チーフデザイナーと呼ばれていた)コロリョフが直腸癌の手術中に急死し、そのあとを継いだヴァシーリー・ミシンはコロリョフほど政治力もリーダーシップ力ももたなかったこともあり、ライバルである第52設計局(OKB-52)などのほかの設計局(注:ソ連の設計局は欧米の航空・兵器メーカーと同じような国営企業)との競争に真正面から晒されることになりました。

夭折したセルゲイ・コロリョフ(左)と後を継いだヴァシーリー・ミシン(右)

Sergei Korolev      mishin.jpg



そうした中でミシンは一度も無人飛行テストを行ったことのなかったソユーズ宇宙船(注:ソユーズ(Союз)とはロシア語で団結・結合・同盟を意味する)の打ち上げを承認、最初の一人乗り宇宙船「ソユーズ1号」は1967年4月23日に打ち上げられますが、ウラジミル・コマロフ飛行士の乗る「ソユーズ1号」は地球周回飛行には成功したものの、大気圏再突入時に着陸用パラシュートがトラブルのため開かずに地面に激突、コマロフ飛行士が死亡するという惨劇で終わってしまいます。

ソユーズ1号の墜落地点と最初の宇宙飛行中の犠牲者となったコマロフ飛行士

soy1crsh-komarov.jpg




 
 ソユーズ1号の事故によって、続くソユーズ2号及び3号の打上げは1968年10月25日まで延期されることとなりました。
この1年半という空白期間と、次項で見ることになる、月有人飛行を達成するために開発されつつあったN-1型ロケットの失敗は、ソ連にとって取り返しのつかない遅れをもたらすことになります。


実用化に至らなかった幻のN-1ロケット

 ここで、ソ連版サターンロケットとも言えるN-1型ロケットの歴史を少し見てみましょう。
N-1ロケットの開発は月および火星への有人宇宙飛行、宇宙ステーション、大型軍事衛星の打上げのために1956年からスタートしたもので、米国が1961年にアポロ計画を発表した後の1964年に、N-1も月有人飛行をメーンターゲットとするべく目的転換しました。

N-1ロケットは他のソ連の宇宙ロケット同様のクラスターロケット方式をとっていますが、N-1ロケットの第1段ではロケット・エンジン数は30基にも達し、これだけの数のエンジンをシンクロ制御する事が技術上の最大の課題でした。ちなみに、40年後の現在の技術をもってしても、それだけの数のロケット・エンジンのシンクロ制御は極めて困難なのです。

バイコヌール宇宙基地の発射台上のN1ロケット (credit: Wikipedia)

N1_booster_lp.gif


発射台へ運ばれるN-1ロケット

N1_rollout.jpg


クラスターロケット(Credit: Wikipedia)

Soyuz_rocket_engines.jpg


米国のサターンロケット(左)とN-1ロケット(右)の大きさ比較

Saturn_V_vs_N1.png



また、N-1では多数のエンジンを制御するためのシステムが開発されました。KORDシステムと呼ばれるもので、一つのエンジンがトラブルなどで停止すると、自動的に中心軸を挟んで反対側のエンジンを停止させて推力のバランスをとると同時に、他のエンジンの燃焼時間を延長して必要な推進速度を確保するシステムで、最大4個のエンジンが停止しても対応できるように設計されていました。さらに外周の24基のエンジンの一部は機体の直軸に対して右や左に軸をずらし、角度をつけて装着されていました。N-1ロケットでは、これらのエンジンの出力を調整することでロール回転のコントロールさえ可能だったのです。

ソユーズ1号の事故のショックにも関わらず、ソ連は1969年1月に打ち上げたソユーズ4号とソユーズ5号でランデブー、ドッキング、そして飛行士の宇宙船間移動(ソ連の月飛行船は飛行士は船外に出て月着陸船に移動する必要があった)を行い成功しました。これらの技術は月面着陸に不可欠のものであり、LK着陸船の地球周回軌道上でのテストにも成功しますが、時すでに遅く、米国はソ連に先んじて前年(1968年)の12月にアポロ8号で人類初の月周回を見事に成功させていました。
技術的にはソ連は月への有人飛行を行うだけのレベルに達していたのですが、肝心のN-1ロケットの発射テストの相次ぐ失敗(4回の打ち上げテストで全て爆発事故発生)、それに続くN-1ロケット開発計画の放棄という決定によって米国より先に有人月面着陸を行う機会を失ってしまいました。


アポロ計画スタート


マーキュリー計画の後続プロジェクトとして着想された「アポロ計画」は、マーキュリー宇宙船が一人乗りの宇宙船であったのに対し、アポロ宇宙船は3人乗りで月周回軌道に達し、さらに月面に着陸することを目標としてスタートしました。
ちなみに、ギリシア神話に詳しい方ならご存知のように、アポロとは太陽神アポロンにちなんでつけられた名前です。


アポロ宇宙船、ジェミニ宇宙船、マーキュリー宇宙船の比較

mercury-gemini-and-apollo-spacecraft-size-space-art.jpg


アポロ計画そのものは1960年代初頭からありましたが、予算不足から実現の見通しは全くなく、また政治的にもそれほど重要とは考えられていませんでした。それが、前回も述べた、スプートニク・ショックに続く一連の宇宙開発事業でソ連の軍事・科学技術の方が米国より優れているかのような印象を西側陣営(民主・資本主義諸国)にあたえ、さらに1961年4月にはソ連はガガーリンを乗せた人類史上初の有人宇宙船の打ち上げに成功したことで西側陣営はさらに焦燥感を強めました。
1960年11月に米国大統領に選出されたケネディは、宇宙開発やミサイル防衛の分野において米国はソ連に優越することを公約し、ついで1961年5月25日に上下両院合同議会においてアポロ計画への支援を表明しました。

しかしながら、ケネディ大統領がこの表明をした時点では、米国はそのわずか一ヶ月前にようやく宇宙空間へ人間を打ち上げたばかり(アラン・シェパード中佐搭乗のフリーダム7宇宙船)で、それも周回軌道ではなく、ミサイル同様の弾道飛行だったのです。
ケネディ大統領の公約通り、1969年の終わりまでに人間を月面に着陸させるという目標を実現するためには、それまでいかなる国も実現したことのない、大規模な技術面での発展と数百億ドルにおよぶ巨額の予算が必要とされたました。アポロ計画実現への壁のあまりの大きさに、NASAの関係者の中にさえ、ケネディ大統領の公約の実現性を疑う者がいました。

米国政府から正式にアポロ計画の達成目標(月面有人着陸)が示されたことから、NASAでは月往復および月面着陸の詳細プランを検討することになりました。この時点で考えられていた月往復飛行&月面着陸方式は4つあり、

直接降下方式:一つの宇宙船で月に向かい、着陸して帰還する。非常に強力な水力をもつロケットが必要(後述のノヴァ・ロケットの使用が考えられていた)。
地球軌道ランデブー方式 (Earth Orbit Rendezvous=EOR) :15基以上のロケットで部品を打ち上げ、直接降下方式の宇宙船および地球周回軌道を脱出するための宇宙船を軌道上で組み立てたあと、各部分をドッキングさせ、宇宙船は単体として月面に着陸する。
月面ランデブー方式:2機の宇宙船を続けて打ち上げる。燃料を搭載した無人宇宙船が先に月面に到達し、そのあと人間を乗せた宇宙船が着陸する。地球に帰還する前に必要な燃料を無人船供給する。
月軌道ランデブー方式 (Lunar Orbit Rendezvous=LOR) :いくつかの単体から成る宇宙船を、1つのサターンV型ロケットで打ち上げる。着陸船が月面にある間、司令船は月周回軌道上を回り、その後上昇してきた着陸船と再びドッキングし、帰還する。他の方式と比較すると、LOR方式はそれほど大きな着陸船を必要としないため、月面から帰還する宇宙船の重量も最小限に抑えることができるというメリットがある。

アポロ計画初期段階における直接降下&地球軌道ランデブー方式の宇宙船のイメージ(1961年)

Apollo_Direct_Ascent.png



1961年初頭まで、NASA内部では直接降下方式プランがもっとも支持されていました。NASAの多くの技術者たちにとっては、地球周回軌道においてすらいまだ行なわれたことのないランデブーやドッキングを、月周回軌道上で実施することへの不安が大きかったのです。しかし直接降下方式プランの反対者たちは、月周回軌道ランデブー(LOR)方式を選択すれば大幅なロケットの重量削減というメリットを得られることを強調しましたた。
60年から61年にかけ、ラングレー研究所の技術者たちはLOR方式が有人月面着陸に最適なプランであると結論し、1961年末から1962年初頭にかけて、ヒューストン有人宇宙センター内のNASA宇宙任務グループ(Space Task Group、1958年NASA内部に創設された、技術者集団から構成される有人宇宙飛行計画の研究グループ)もLOR方式を支持するようになり、ついでマーシャル宇宙飛行センターの技術者たちもLOR方式のメリットを認識するにいたり、最終的に1962年11月にNASAは有人月面着陸計画はLOR方式で行うことを正式に発表しました。

1962年にNASAがLOR方式を採用したことについて、宇宙開発史研究家のジェームズ・ハンセンは、「もし1962年に頑迷なNASAがこの変更を受け入れなかったとしても、アメリカは月面に到達していたであろうが、ケネディが公約した”60年代中に月に到達させる”という目標は恐らく達成されることはなかったであろう」と述べています。それほどLOR方式は大きなメリットがあったわけです。
ちなみにLOR方式の採用は、ずっと後の話になりますが、1970年4月にアポロ13号が月に向かう途中で、酸素タンクの爆発事故が発生した時にその有利性を実証しました。もしアポロ宇宙船が着陸船と司令船でそれぞれ独立した独自の生命維持装置を持っていなかったら、アポロ11号の乗組員たちは生きて地球に帰還出来なかったからです。


直接降下方式が見送られ、LOR方式が正式採用されるにあたって、もっとも大きな比重を占めたのが直接降下方式では200トン以上のペイロードを地球周回軌道にまで打ち上げる能力のある巨大ロケットが不可欠だったからです。この構想にしたがって検討されつつあったのがノヴァ・ロケットでした。


ノヴァ・ロケットとサターン・ロケット

ノヴァと呼ばれるロケット開発計画は2系統あり、一つはサターン5型同様、月に有人宇宙船を送り込むためのロケットで、NASAが計画を進めていました。もう一つは火星サターン5型よりさらに巨大なロケットでした。
当初構想されていた直接降下方式では、巨大な打ち上げ能力が必要とされており、スタンダード型ノヴァ・ロケットの設計案である8Lでは、8基のF-1エンジンを下段に備えることにより68トンを月周回軌道へ投入する能力を有することになっていました。この系列の他の設計案ではF-1エンジンを大型の固体燃料ロケットに換装したり、上段に原子力ロケットエンジンを使用することなどにより48トンから75トンのペイロードを月軌道へ投入するというものでした。

月面直接降下式宇宙船用に開発が進められていたノヴァとサターンI型、サターンV型の比較

ノヴァ・ロケットの並外れた巨大さが分かる

Nova_Rocket.jpg


ノヴァ・ロケット(C8)のスペック (Wikipediaより)


       全高         109.3m
       直径         12.5m
       重量         4,491,000Kg
       ペイロード能力
                    地球低軌道 210トン
       

         第一段
       全長           48.8m
       直径           12.2m
       総重量       3,600,000Kg
       エンジン数     F1エンジン 8基
       推力    61,925kN
       比推力        304秒
       燃焼時間      157秒
       燃料/酸化剤    液体酸素/ケロシン

         第二段
       全長           42.7m
       直径           10.1m
       総重量        771,000Kg
       エンジン数       J2エンジン 8基
       推力     8,265kN
       比推力         425秒
       燃焼時間        338秒
       燃料/酸化剤    液体酸素/液体水素

         第三段
       全長       17.8m
       直径       6.6m
       総重量    120,000Kg
       エンジン数    J2エンジン 1基
       推力   1,032kN
       比推力         425秒
       燃焼時間      475秒
       燃料/酸化剤    液体酸素/液体水素



結局、ケネディー大統領が10年以内に月へ有人着陸するという目標を打ち出したため、ノヴァ・ロケットの開発は間に合わないとNASAは判断し、陸軍弾道ミサイル局(ABMA)からNASAへ移ったフォン・ブラウンたちが開発を進めていたサターン・ロケットを使用することを決定したわけです。


比較までにサターンV型ロケットのスペックを下記してみますと

  
       全高 110.6m           
       直径 10.1m
       重量 3,038,500kg
       ペイロード能力
              低軌道 118トン
              月軌道 47トン

           第一段 (S-IC)
       エンジン F-1 5基
       推力 3,465トン (34.02MN)
       比推力 263秒(2,580N-s/kg)
       燃焼時間 150秒
       燃料/酸化剤 ケロシン/液体酸素

           第二段 (S-II)
       エンジン J-2 5基
       推力 453トン (5MN)
       比推力 421秒 (4,130N-s/kg)
       燃焼時間 360秒
       燃料/酸化剤 液体水素/液体酸素

          第三段 (S-IVB)
       エンジン J-2 1基
       推力 102トン (1MN)
       比推力 421秒 (4,130N-s/kg)
       燃焼時間 1回目:165秒、2回目:335秒
       燃料/酸化剤 液体水素/液体酸素

                               (以上、Wikipediaより)


サターンV型ロケット第一段のF-1ロケットエンジンとフォン・ブラウン
S-IC_engines_and_Von_Braun.jpg



サターンV型ロケット
saturn.jpeg



スペックの比較でもノヴァがいかに強力なロケットか分かりますね。
ただし、理論上、図面上ではいかに大きく強力でも、実際に作られなかったので”絵に描いた餅”に終わってしまいました。この点はソ連のN-1と似ています。



アポロ宇宙船のデザイン


LOR(月周回軌道ランデブー)方式は、いくつかのモジュールから構成される宇宙船を、1基のサターンV型ロケットで打ち上げるという方式で、着陸船が月面で活動している間、司令船は月周回軌道上に残り、その後活動を終えて上昇してきた着陸船と再びドッキングし、着陸船の乗員を司令船に移し、地球に帰還します。他の方式と比較すると、LOR方式はそれほど大きな着陸船を必要しないため、月面から帰還する宇宙船の重量を最小限に抑えることができるというメリットがあります。
LOR方式が決定したことで、NASAは早速、司令船および器械船をノースアメリカン社、月着陸船をグラマン社に発注しました。

アポロ11号の構造

Discovery_Space_exploration_apollo_spacecraft.jpg


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RoketApolloCSM.jpg


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alp-lua.jpg

NASAの月着陸船のコンセプト(1963年)
apl_Lunar_mod_Model.jpg


アポロ司令船と月着陸船のモデルをもつ、NASAのアポロ宇宙船計画室長ジョセフ・シェア
apl_service_lunar_Joseph_Francis_Shea.jpg


参考サイト: Appolo Lunar Module




アポロ計画-悲劇を乗り越えて着々と実績を


  前述したように、ソ連がソユーズ1号の事故、それに続くN-1ロケットの開発失敗などで大きな遅れをとっている間に、NASAはアポロ計画を順調に進め、1967年1月27日にアポロ1号の地上訓練中に司令船内部で発生した火災事故により3名の飛行士が生命を失うという悲劇(詳細)を乗り越え、同年11月9日にアポロ4号(無人)の打ち上げと大気圏再突入テストに成功しました。
さらに翌年の1968年にはアポロ5号(無人)、6号(無人)、7号(有人)と相次いで地球周回軌道打ち上げに成功し、各種テストを行い着々と月に人間を送り込む準備を進め、アポロ8号ではソ連にさきがけて有人月周回ミッションを成功させます。
アポロ8号は月を10周して帰還あい、同船の宇宙飛行士たちは人類で初めて月の裏側を見た人間となりました。また、月面から、”アース・ライズ ( 地球の出 )”(the Earthrise)を初めて撮影したのもアポロ8号でした。


初の有人月周回飛行を行ったアポロ8号から撮影された月平線上に見える地球

Apl8-Dec24-Earthrise.jpg




実は、アポロ8号の月周回ミッションは、米国がソ連が新型ロケット(UR-500。後にプロトンと呼ばれるようになったロケット)を準備している事をCIAのスパイ衛星からの写真で知り、宇宙開発競争で遅れをとっていたアメリカは、急遽予定を変更してアポロ8号に月の周回軌道を廻らせる事としたという経緯があります。宇宙開発技術は人工衛星や宇宙船だけでなく、スパイ衛星というような軍事利用もしっかりとされていたということを証明するエピソードの一つですね。

1969年に入ると、3月3日に打ち上げられたアポロ9号では地球周回軌道上において、月軌道上で行うのと同じように司令船と月着陸船を切り離して月着陸船の性能テストを行ったあとで再ドッキングをするとともに、NASAが新しく開発した宇宙服(命綱で宇宙船へ接続するのではなく宇宙服自体に生命維持装置を装備するタイプ)を使用して船外活動を行い新宇宙服のチェックを行いました。



さらに5月18日に打ち上げられらたアポロ10号では月面まで15キロの高度まで接近し、月着陸船の性能テストを行い、ついに1969年7月16日、米国はアポロ11号によって、人類初の月面到着という快挙を成し遂げました。アポロ11号による月面到着は、人類が地球以外の天体の上に初めて降り立ったということでもたいへん意義ある歴史上の出来事だったのです。




apl_eagl.jpg

アポロ宇宙船サービス・モジュール(司令船)内部
Interior_of_Apollo_Capsule.jpg


司令船の計器パネル
apl11 commando_interior


ケネディ宇宙センターに展示されているアポロ司令船
apl_command_module_800.jpg


アポロ宇宙船のドッキング装置
apl_dockinsistem.jpg


司令船から機械船→着陸船への通路に出るハッチ
apl_cm_hatch400.jpg

司令船から外へ出るハッチ
apl_hatche.jpg



アポロ9号では地球軌道において月着陸船のテストが実施された
apl_9_lunar_modu.jpg

アポロ9号司令船から見た月着陸船(サターンVの第三段胴体内に収容されている)
lunarmodule_comandomodule.jpg


アポロ9号で行われた船外活動
apollo_9_nas.jpg




寄り道-宇宙服


ここでちょっと宇宙開発に不可欠な宇宙服(船外活動用)について見てみましょう。
モデルにもよりますが、宇宙服一着の値段は10億円程度()だそうです。現在宇宙服を開発、保有している国はアメリカ、ロシア、中国の3国ですが、カナダや欧州でも開発の研究が進められています。

世界最初の宇宙服は1931年、ソ連が開発した「スカファンドル」です。その後ソ連は開発を続け、オーランシリーズと呼ばれる宇宙服を2009年までリリースし続けています。 アメリカの宇宙服もロシアと競争するように開発され続けましたが、途中から従来のロケット型宇宙船からスペースシャトル型へと変更した為、スペースシャトル用宇宙服へとシフトチェンジしていきました。 機内活動用にオレンジの機内与圧服と、船外活動用の宇宙服(EMU)を別々に開発するようになり、それぞれ保湿性、機動性、グローブの操作性やシステム環境などめまぐるしく進歩しています。


ソ連/ロシアの宇宙服

【左】 ガガーリンが使用した宇宙服(Sokol SK-1型) Credit:Mark Wade
【右】 1969年代のソ連の宇宙服(Yastreb型) Credit: Andy Salmon

sobisto_utyuufuku.jpg


ソユーズ宇宙船内で宇宙服を着用している飛行士たち
russian_soyuz_suit.jpg


1977年から使用され始めたオーラン型宇宙服 
russian_orlan_suit.jpg


オーラン宇宙服の生命維持装置
04_8.jpg


最新型のオーラン-M型の宇宙空間活動時間は9時間にまでなっている(写真はMK型)
soviet_spacesuit.jpg

以上、参考サイト: Space Suits


米国の宇宙服


マーキュリー計画で使用された宇宙服(Mercury Navy Mark4)
suit_Mercury_Navy_ Mark_4

アポロ11号のニール・アームストロングが着用したジェミニ計画の宇宙服(Gemini space suit)

Neil_Armstrong_pre_Gemini_spacesuit.jpg



A7L PGA

space suit



アポロ計画用に開発された宇宙服(A7L型。スカイラブ計画でも使用)
A7L LEVA A10-13


参考サイト:宇宙服の歴史
LES SCAPHANDRES LUNAIRES





”ヒューストン、こちら静かの基地。イーグルは着陸した”


1969年7月16日現地時間(UTC)午前9時32分、アポロ11号を乗せたサターンV型ロケットは、ケネディ宇宙センターから発射されました。

アポロ11号発射の瞬間

apll11.jpg


ちなみに、アポロ11号司令船の名前、「コロンビア(Columbia)」はアメリカを象徴する伝統的な女性名で、ジュール・ヴェルヌの小説「月世界旅行」に登場する、宇宙船発射用の大型大砲「コロンビアード」にもちなんだものです。月着陸船にはアメリカの国鳥であるハクトウワシを計画の徽章(下参照)として使用することが決定された後、「イーグル(Eagle)」と命名されました。なお、NASAは計画段階では、司令船を「スノー・コーン(かき氷)」、着陸船を「ヘイスタック(干し草)」というコードネームで呼んでいましたが、マスコミに公表する際に変更しました。


アポロ11号の徽章
Apl_11_insignia.png


発射から1分後、マッハ1に近づきヴェイパー・コーン(圧縮雲)を発生させるサターンV
Apl_11_launch.jpg

月周回軌道上のアポロ11号
Apollo11 in Lunar Orbit

着陸のため降下を始めた着陸船
Apollo_lunar-lander.jpg



7月19日、アポロ11号は月の裏側に達し、機械船のロケットエンジンに点火し、月周回軌道に乗りました。
月周回軌道を13周後、(7月20日)着陸船イーグル号は司令船コロンビアから切り離され、ロケットエンジンを噴射しつつ降下を開始しましたが、アームストロングとオルドリンは月面上の目標地点を通り過ぎるのが4秒ほど早すぎることに気づきました。それは予定着陸地点を数マイルほど行きすぎてしまうことを意味していました。
その時、イーグル号の航法コンピューターがアラーム(警報)を発し始めましたが、地上のシュミレーターで数え切れないほど訓練を積んできた両飛行士にも、このアラームが何を意味するのか理解できませんでしたが、ヒューストンの管制センターは、そのまま降下を続けても何ら問題はないことをイーグル号の飛行士たちに伝えました。

アームストロング船長はイーグル号の船窓から月面を見た Credit: NASA
apl_lunar_excursion_module_interior.jpg



しかし、その時アームストロングが着陸船の窓から外を見ると、なんと、そこには直径100mほどもあるクレーターがあったのです! しかも、クレーターの内には乗用車ほどもある岩がいくつもあって、その中にイーグル号が降りれば転倒してしまうこ危険がありました。 至急、アームストロングは操縦を半手動に切り替え、そばでオルドリンが高度と速度のデータを読み上げ続けました。
そして、7月20日20時17分(UTC)、イーグル号は無事に月面に着陸しましたが、そのときイーグル号の燃料は残り25秒と表示されていたそうです。ちなみの、着陸にいたるまでのアームストロングの心拍数は150を超えており、彼らが着陸失敗の恐怖と極度の緊張の中にいたことを窺わせます。


静かの海に着陸したイーグル号の影 危うく落ちそうになったクレーターはどれでしょう? Credit: NASA
apl_lander.jpg



なお、着陸前に鳴ったアラームは、コンピューターがオーバーフローを起こしたことを知らせるものでした。着陸の際、司令船とのランデブー用のレーダーは必要がなくなるが、万が一着陸を中止して緊急脱出する事態に備えて、スイッチがONになっていたので、そのためコンピューターには、高度測定用レーダーからのデータとランデブー用レーダーからのデータの2種類のデータが入ってきてしまい、演算処理が追いつかなくなったためです。
地上で行われたシュミレーションでは、このような事態は想定していなかったのです。これはコンピューターではなく人間のミスでしたが、訓練された飛行士たちによって大きなトラブルになるのを防ぐことができました。
また燃料はあとわずかしか残っていないと表示されていたのは、これは月の重力が地球の6分の1しかないため、タンク内で燃料が予想以上に攪拌され、実際よりも低く表示されたものであることが判明したため、次回以降のミッションではタンクの中に燃料の動揺を抑える抑流板が設置されるようになりました。



月面着陸後、着陸船イーグルから降りるオルドリン飛行士
SuperStock_1895-44405.jpg


月面に星条旗を立てるアームストロング船長

apl_11_flag400.jpg


イーグル号と地球
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アポロ11号の船長、ニール・アームストロングは 「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。(”That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind”)」という有名な言葉を残しています。

ちなみに、今回記事のタイトルは、アポロ11号の月着陸船イーグル号が月面に無事着陸した時にアームストロング船長がケネディ宇宙センターに伝えたメッセージ、「ヒューストン、こちら静かの基地。イーグルは着陸した(”Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed”)」からとったものです。(注:”静かの海”基地とはイーグル号のこと)

アポロ11号のクルー

Apollo11_Astronauts.jpg




静かの海のアポロ11号 (カメラショットの動画です) 



こちらはアポロ11号の記録動画




興味深いというか、信じられないというべきか、アポロ11号の偉業を映像記録したもので、高画質のものはカメラ画像だけしか現存してないそうです。ここで紹介している最初の動画が、そのカメラで撮った画像をベースに動画に編集したもののようですが、現在知られているムービーは、この上のとても画質の悪いものしかなようです。実は、NASAはカラーの高画質の記録ムービーを撮っていたそうですが、どういう手違いからか、保存してあったそのビデオテープの上に別の映像を記録してしまったとか…
もし、NASAの誰かがそんなヘマをしていなかったら、下のアポロ12号の記録映画のような高画質の動画が見れたのに残念です。(Wikipeidiaの『アポロ11号』には、”スロースキャンテレビで撮影した高画質の映像は長らく行方不明になっており、2009年にNASAが紛失したことを確認した。マザーテープは70年代から80年代の間に再利用されて上書きされてしまったものと見られている”とある)


アポロ12号の素晴らしい月旅行(The Incredible Journey of Apollo 12)一見の価値ある高画質動画です




月面から地球への帰還


 2時間半の月面活動で、アームストロングとオルドリンの両飛行士たちは地震計や、地球と月との距離を測定するためのレーザー反射板など、様々な観測装置を月面に設置したほか、(写真で有名な)星条旗や、記念プレートなども置いてきました。予定されていた月面活動をすべて完了し、月面で採集した岩石や映像フィルムなど22㎏の”荷物”も収納した後、宇宙服の生命維持装置、月面靴、カメラなどの必要がなくなった機材を捨て、船内を与圧してから二人は休息(睡眠)を取りました。

7時間の眠った後、2人はヒューストンからの目覚ましによって起こされ、離陸の準備を開始。2時間半後の17:54 (UTC)、イーグル号は上昇用エンジンに点火し離陸を開始し、司令船コロンビアとのドッキングにも無事成功して、軌道上で彼らを待っていたコリンズ飛行士と再会しました。


離陸時の時のロケットエンジン噴射で、アームストロングが立てた星条旗は吹き飛ばされてしまったため、以後のアポロ・ミッションでは星条旗は着陸船から30メートル以上離れた場所に立てられることになった
apl-11-hata2.jpg



ちなみに、オルドリンは月面に着陸しているときに、船内作業中に誤って上昇用エンジンを起動させるブレーカーのスイッチを壊していたそうですが、幸いにもボールペンの先でスイッチを入れることができたので問題なく上昇できたのですが、もしエンジンに点火できていなければ、彼らは永久に月面に取り残されることになっていたとか

アームストロングとオルドリンの2人は幸い問題もなく無事に月面を離陸してコリンズ飛行士の待っている司令船に戻って来たわけですが、当時、NASAは司令船で月を周回することまでは成功していた(アポロ9号、10号)のですが、月面からの離陸は初めてだったこともあり、月面に着陸した2人を無事に月から帰還させることについては完全に保証することができない状況だったそうです。
そのため、ニクソン大統領は2人が帰還できなくなった場合の「追悼の言葉」を事前に準備しており、これは後の1999年にアメリカ国立公文書記録管理局で発見され公開発表されています。

apl_resgate.jpg

Apollo_11_crew_in_quarantine.jpg



7月24日、アポロ11号の帰還カプセルははウェーク島から2,660km東方、ジョンストン環礁から380km南方の太平洋上に無事帰還し、わずか24kmの地点に待機していた航空母艦ホーネットのヘリコプターによっておよそ1時間後に回収されました。3人の宇宙飛行士は、月面から病原菌やウィルスを持ってきていないかを検査するためにただちに特別な病棟に隔離されました。

8月13日、3週間にわたる検査により異常がないことが確認されると、3人はようやく隔離から解放され、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスで盛大なパレードで歓迎されました。


アポロ計画の政治的価値と科学的貢献


 NASAのビッグ・プランであるアポロ11号計画には200億から250億ドルがつぎ込まれたと予想されていますが、宇宙開発計画が巨額の費用を必要とするのはどこの国でも同じで、米国においても巨額を要する「アポロ計画」に対しては多くの反対意見があり、それだけに反対派の左右政治家たちを黙らせるだけの成果を上げる必要がありました(右派政治家たちは宇宙開発費をベトナム戦争に勝つための戦費や兵器開発に回すことを主張し、左派政治家は社会福祉や根深い人種問題の解決などに予算を投じるべきだと主張)。

月面車と月着陸船
lunarland.jpg

数百億ドルに達すると予想されたアポロ計画を実施するにあたって、ケネディを初めとする、アポロ計画推進派が主張したメリットは次のようなものでした。

1-アポロは次回の選挙で鍵となる州に対して経済効果を約束し、与党の勝利を確実にできる。
2-アポロの技術は軍事利用できるため、1960年の選挙でケネディが触れた米ソの「ミサイル・ギャップ」を埋めることができる。
3-アポロから多くの科学技術がスピンオフすることにより新製品ができ社会や経済が活性化する。

また、ケネディはNASAの第二代長官ジェームズ・ウェッブに次のように話しています。
「われわれが行う全ては、ロシア人より先に月に降り立つ事業にきちんと結びつける必要がある…そうでなければわれわれはこんな金を使うべきではない、私は宇宙には興味がないからだ…(このような出費が)正当化されるのはただ、神に懸けてきっと数年以内に彼らを追い越し、アメリカの方が遅れていると思っている世界に成果を見せつけて、ソ連を打ちのめすという希望があるからだ」(ジョン・F・ケネディ図書館に保管されたテープより)。

ケネディとジョンソンは世論を巧みに操作し、アポロ計画への国民の支持を獲得しました。
ちなみに1963年にアポロ計画を支持するアメリカ人は33%でしたが、1965年には58%まで支持率が上昇しています。ジョンソンが大統領になった1963年以降、彼も計画を支持し続け、アポロ計画を成功に導きました。



寄り道ーカメラの役割


米国の宇宙開発計画の記録画像を見る上で忘れてはならないのは、息を飲むような素晴らしく鮮明なイメージですが、これらは全て日本のニコンカメラで撮られたものなのです。これを見るだけでいかに日本のカメラ(特にニコン社)の技術が優れているか分かりますね。

アポロ計画で使用されたNikon F Photomic FTNカメラ
Nikon F Photomic FTN-01

ちなみに、アポロ計画以降もNASAはニコンのカメラ(最新型)を使い続けています。

2009年にNASAがニコンに発注したNIKON-DS3
Nikon_NASA_2009.jpg



ただし… 月で撮影された画像は全てスウェーデンのカメラメーカー、ハッセルブラッド社のカメラでだそうです(資料サイト)。ちょっぴり残念。


apollo11-hasselblad-edc.jpg

hasselblad.jpg



アポロ計画の政治的価値と科学的貢献


ケネディを初めとする、アポロ計画推進派が主張したメリットは次のようなものでした。

アポロは次回の選挙で鍵となる州に対して経済効果を約束し、与党の勝利を確実にできる。
アポロの技術は軍事利用できるため、1960年の選挙でケネディが触れた米ソの「ミサイル・ギャップ」を埋めることができる。
アポロから多くの科学技術がスピンオフすることにより新製品ができ社会や経済が活性化する。

また、ケネディはNASAの第二代長官ジェームズ・ウェッブに次のように話しています(ジョン・F・ケネディ図書館に保管されたテープより)。

「われわれが行う全ては、ロシア人より先に月に降り立つ事業にきちんと結びつける必要がある…そうでなければわれわれはこんな金を使うべきではない、私は宇宙には興味がないからだ…(このような出費が)正当化されるのはただ、神に懸けてきっと数年以内に彼らを追い越し、アメリカの方が遅れていると思っている世界に成果を見せつけて、ソ連を打ちのめすという希望があるからだ」。

ケネディとジョンソンは世論を巧みに操作し、アポロ計画への国民の支持を獲得しました。
ちなみに1963年にアポロ計画を支持するアメリカ人は33%でしたが、1965年には58%まで支持率が上昇しています。ジョンソンが大統領になった1963年以降、彼も計画を支持し続け、アポロ計画を成功に導きました。





参考サイト: Wikipedia《アポロ11号
         アポロマニア
         Project Apollo
         SpaceAholic

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