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宇宙開発の歴史: ガガーリンから50年
2011-04-17 Sun 00:08
 人類が初めて宇宙飛行をしてから早くも50年を迎えました。

世界初の宇宙飛行は旧ソ連(現ロシア)のボストーク1号(Восток-1)によって行われ、ユーリ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン中尉(当時27歳)の搭乗したボストーク1号はチュラタム(レニンスク)近郊の発射基地からボストークロケット(R-7ミサイルの改良型)によって1961年4月12日に打ち上げられました。(注:一般的に発射場所はバイコヌールと言われているがこれは間違い)


ボストーク1号発射の瞬間
208880592.jpg

カプセル内のガガーリン中尉
  


バイコヌール宇宙基地の所在地

大きな地図で見る


ボストーク1号とガガーリン

 ボストーク1号は181~327キロメートルの高度を楕円軌道飛行し、1時間48分におよぶ飛行のあと、アフリカ西岸アンゴラ上空で42分間逆噴射を行い減速し、カプセルから射出シートによって高度7千メートルで脱出しパラシュートで無事帰還しました。飛行距離はわずか3万8620Kmという短いものでしたが、人類初の宇宙飛行という偉業達成に貢献したガガーリンは、なんと宇宙飛行中に二階級特進し、空軍少佐となってモスクワで行われた盛大なパレードに参加しました。
この異例ともいえる二階級特進は、実はソ連の首脳部がガガーリン中尉の生還率は極めて低いと予想していたため、殉死した将校にあたえられる特進を承認していたというのが真相だとか。

ボストーク1号を打ち上げたA1ロケット
Rocket_R7.jpg


ボストーク1号の計器パネル
Vostokpanel.jpg



宇宙からの帰還後、ガガーリンはソビエトの英雄として共産主義の宣伝のため世界各地を訪問しましたが、ガガーリンは激変した環境にうまく適応できなかったようで飲酒をはじめ、精神的にも問題を抱えるようになり、1961年には自傷行為までを起こしています。
その後、ガガーリンは飛行指揮官となるため、飛行訓練をしていましたが、1968年3月27日MiG-15UTIでキルジャチ付近を飛行訓練中、事故で墜落死ししています。わずか34歳という若さでした。
事故の原因は長らく不明とされてきましたが、気象観測用気球との衝突を避けようと機体を立て直すために急旋回を試みたが操縦不能になって墜落したとの調査報告書が、2011年にソ連政府調査委員会から発表されています。

ちなみに、「ボストーク」という名称はロシア語で「東方」を意味し、宇宙船固有の名前ではなく、町とか建物とか南極基地などにも同じ名前がつけられています。ロシア人にとって「東」という方角は、歴史的に特別な意味を持っていて、帝政時代より広大な東方へ領土を拡大することがロシアという国家およびロシア人にとって大きな夢であり目標だったそうです。ちなみに「ウラジオストク」という日本海に面したロシアの軍港がありますが、この名は「東方を支配する」という意味があるそうです。


ボストーク1号の記録動画


人類初の有人宇宙飛行50周年を記念するポスター
1.jpg



人類初の有人宇宙船は人間ミサイルだった?

宇宙史に輝く人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたボストーク1号ですが、その実態は大陸間弾道ミサイルと根本的にはあまり変わらない、と書くと驚くでしょうが、実際は核弾頭の代わりに直径2.3メートル、重量2.46トンの合金製カプセルを大陸間弾道ミサイルロケットR7型を改造したA1型ロケットの先頭に載せているだけなのです。

ボストーク1号のカプセル(先端の丸い部分)
kosmos 023


4a.jpg



というのは、現在のスペースシャトルなどと違って、ボストーク1号は搭乗員である宇宙飛行士が操縦できるようになってなく、すべてが地上、つまりバイコヌール宇宙基地からの遠隔操作によって操縦されるシステムになっていたからです。
その理由は、打ち上げ時のG(重力加速度)に人間、つまり宇宙飛行士が耐えれるかどうかが分からなかったからです。
ちなみに、ボストーク時代のロケットは打ち上げ時に6~7Gがかかりましたが、宇宙飛行士が万一、気絶したり操縦不能になった事態を想定して、カプセル内での宇宙飛行士の状態にかかわらずカプセルを無事に大気圏再突入させ、宇宙飛行士とカプセルを回収できるように設計されていたのです。


ボストーク1号のイラスト
vostok1 (1)

ボストーク1号の大気圏再突入のシーケンス
4c.jpg

ガガーリンの見た地球はこのように青かったのだろうか
earth-from-space.jpg



つまり”人間ミサイル”(?)と同じようなものですが、ボストーク1号の場合は1時間半以上飛んで、距離にしても地球を約一周しているわけですが、ソ連に負けまいと米国が一ヶ月遅れの1691年5月に打ち上げたマーキュリー・レッドストーン3号(フリーダム7と呼ばれた)は、わずか16分間の弾道飛行ですから、これこそ真の人間ミサイルですね…
ちなみに、米国で最初に地球周回飛行を行ったのはボストーク1号の翌年、1962年2月にマーキュリー・アトラス6号でですから、当時、どれだけソ連の宇宙技術が進んでいたか分かるというものです。
ただし、米国のマーキュリー計画の宇宙船では、飛行士に大きな自由度(操縦可能)が与えられていた米のマーキュリー計画では、宇宙船カプセルには物凄い数のスイッチとメーターが並んでいた。

緊急脱出用ロケットを装着したフリーダム7宇宙船
freed.jpg

mercury_capsule.jpg


free7.jpg

マーキュリー宇宙船の計器パネル。ボストークと比較にならないほど充実している。
Merc_Panel800.jpg


Mercury_Spacecraft.jpg


マーキュリー宇宙船打ち上げに使用されたレッドストーン・ロケット
MAonpad.jpg


 有人宇宙飛行を成功させるにあたって、やはり重要不可欠なものは、巨大な推進力をもつロケットと搭乗員の生命の安全を守る頑丈なカプセルですが、これらの機体構造の設計には複雑かつ膨大な量の数値計算が必要となります。それを可能としたのはコンピュータであり、当時、ソ連ではBESM-1という大型コンピュータを駆使して数値シュミレーションを行っていましたが、同コンピュータは1953年に製造されたもので、何と5千本の真空管と大量のダイオード、リレーを組み合わせて作られた巨大な電子計算機で、当時、ヨーロッパで最速の演算速度をもっていたそうです。

当時最高の演算速度を誇ったBESM-1コンピュータ
BESM.jpg




宇宙開発に不可欠であり、またその技術進化を支えているのは新材料の開発やコンピュータ技術ですが、逆に目標を達成するために新素材や半導体技術が発展していく… 目標が科学技術を発展させ、発展した科学技術がさまざまな分野に影響をあたえ、さらにそれらの分野の発展を可能とする。この正のスパイラルともいうべき現象が国力をも増強していくわけです。
だからこそ、国全体に活力をあたえ続けるためにも日本などは宇宙開発費を削減したりせずに、国の将来を見据えて投資を行っていくべきなのですよね…


地球は青かった

Earth500.jpg


 さて、人類最初の宇宙飛行士となったガガーリンが残した言葉で有名なのは「地球は青かった」ですが、正しくは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」が英語に翻訳される際、「地球は青かった」に変化して広まったという説もあるそうです。
もっとも、この種の報道は他にもいろいろあり、1961年4月13日の毎日新聞は「12日夜のモスクワ放送が伝えたイズベスチヤ特派員の報告」として「空は非常に暗かったが、地球は薄青色だった」との発言を報道しています。
ガガーリンの著書「宇宙への道」にも、地球の描写として 「地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、薄青色の円光にかこまれていた」というような記述が見られるそうです。

「地球は青かった」のほかに、やはり地球軌道を飛行中に言ったといわれる、「ここに神は見当たらない」という言葉があります。宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシー1世が列席しており、
「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。」とガガーリンに尋ねたところ、
「見えませんでした。」とガガーリンは答えたとか。
そこでアレクシー1世総主教は、
「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」
と忠告したそうです。
しばらくしてフルシチョフ首相がガガーリンに同じことを尋ねました。
総主教との約束を思い出したガガーリンは
「見えました。」と答えたそうです。
それに対してフルシチョフは
「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。」と忠告したとか。
これは共産主義(レーニン主義)は宗教を否定しているところから、このような会話になったものと思われますが、
当時のソ連の思想状況を示す興味深いエピソードですね。


宇宙開発競争


さて、こうして最初にソ連、ついで米国と華々しく宇宙有人飛行時代の幕は開けられましたが、ソ連の宇宙開発技術の優位性は誰人も認めるところであり、米国は劣勢を挽回すべく、1958年に創設されたばかりのアメリカ航空宇宙局(NASA)の急速な充実を図るとともに、膨大な予算を投入します。
ちなみに、NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)の時代には、わずか年間に500万ドルにしか過ぎなかった宇宙開発予算は加速的に増加し、年間50億ドルにまで達していますのでその意気込みが分かろうというものです。
国の総力をあげて宇宙開発競争に本格的に取り組んだ米国は、1961年5月25日に開催された連邦議会特別両院合同会議の席上、月面へ人間を送り込む『アポロ計画』を発表しますが、同計画については別の機会に取り上げたいと思います。


次の目標は月だ
tuki.jpg
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