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世界最大の祭り- ブラジル・カーニバルの歴史 ①
2010-02-05 Fri 05:17
今回は、世界最大の民衆の祭り、ブラジルのカーニバルの歴史特集です。
ブラジルの人口が1億8千万人として、その3割がカーニバルに直接・間接に参加するとしても5千4百万人。
おれにTVで見物する人数が軽くみて5千万人はくだらないから、合計で1億人以上がカーニバルを楽しむのですから、文字通り、世界最大のお祭りですね。



カーニバルの歴史

 カーニバルの起源(ルーツ)は、春の儀式を行なっていた古代ローマ人とギリシア人に遡ります。 一説によれば、カーニバルの語源は“carnem levare=肉を絶つ”であり、それが時代を経て11世紀から12世紀に“carne vale=肉よさらば”と変わり、四旬節(ブラジルではクヮレズマ=Quaresmaと呼ばれる)、つまり肉食が禁じられた時期に入ったことを示す言葉となったようです。
興味深いのは、中世においてカトリック教会は全ての異教徒を抑圧しようとしましたが、この儀式のためにうまくいかなかったそうです。 それ故、神への感謝の行事として、カトリック教はカーニバルの儀式を教会暦に取り入れるようになりました。 カトリック教会が異端の宗教のスタイルとか祝日を取り入れるということは別段目新しいものではなく、外国の風景をみればイスラム教風のドーム式屋根をもつカトリック教会が見えますし、クリスマスも異教の祭日にキリストの生誕日を合わせたことは周知の事実です。
カトリック教会は、カーニバルを暦に導入するにあたって、厳しい断食、または肉食が禁じられる「四旬節」の期間を迎える前に”代償的”に楽しめるイベントを大衆にあたえようと考えて導入したそうです。

ポルトガル王家はナポレオンの侵略から逃れるため、1808年に植民地であったブラジルに移った
王家のリオ着  

リオデジャネイロに到着したポルトガル王家一族
王家のリオ着2



ヨーロッパの国々、特にフランス、スペイン、ポルトガルは、パーティを催したり、仮装をしたり、通りで踊ったりしてこの儀式を祝いました。 これらの国々は植民地大国であったので、この伝統は「新世界」へともたらされていきました。
ブラジルの場合は幾分異なり、ブラジルを発見し植民地化したポルトガル人自身がお祭り騒ぎを好んでいたこともあり、彼らは「エントゥルード(Entrudo)」というお祭をブラジルにもたらしました。 とくに黒人奴隷たちは顔に小麦粉を塗りつけ、農園主から古いかつらやボロボロになったシャツを借りて、水や小麦粉やおしろいなどをお互いの顔めがけて投げあい三日間ドンチャン騒ぎに興じたのです。 農園主の多くは、この間、奴隷たちが自由に行動することを許し、祭を楽しむことを認めたのです。それは、一年に一度、日ごろのフラストレーションを晴らす機会をあたえ、それでもって奴隷が重労働で働かせられる農園から逃げだすことを食い止める手段になったからだそうです。
一説では、ブラジルでカーニバルらしいものが始まったのは、1808年にポルトガル王家がナポレオンから逃れてブラジルに到着した時、ブラジルに住んでいたポルトガル人たちが仮面をかぶり派手な衣装をつけ音楽を鳴らして町中を練り歩き歓迎したことが始まりだとする説もあります。

顔におしろいならぬ、小麦粉やタピオカ粉をぬってカーニバルを楽しむ黒人奴隷たち
当時のカーニバルの様子を知ることができる貴重な絵です(フランス人画家ジャン・B・デブレ作)
carna3.jpg



カーニバルに山車が登場するのは1786年にドン・ジョン王の結婚を祝って作られたのが始まりだといわれています。
しかし、19世紀前半までのカーニバルは、ブラジルのあちらこちらの町の通りで、「灰色の水曜日」(カーニバル後の水曜日でこの日から四旬節が始まる)までの3日間、かつらや仮面をつけて、悪臭を放つ水をかけたり、小麦粉やタピオカ粉をお互いに投げつけあったりあったりする、騒がしくてかなり汚い、あまり趣味がいいとは言えない祭りでした。 ひどい時は放火までもが余興のひとつとして行なわれたといいます   
一方、白人たちは、家の中でオレンジ玉― 小さなオレンジの形をした蝋作りの玉の中に香水混じりの水をつめたもので、当たると割れる― を投げあったり、または窓から通行人の頭に降水混じりの水をかけたりして遊びました。そのため金持ちたちは水や粉をかけられる街や通りを歩くのをさけて、ポルトガル王国などで半ば伝統のようになっていた仮面舞踏会などを邸宅で開いていました。
ちなみに、当時、カーニバルで演奏されていた曲はワルツ、ポルカ、マシェシェ、マズルカなどの曲でした。

1840年台になるとカーニバルは一変します。 リオ・デ・ジャネイロの『イタリア・ホテル』の持主の夫人が、友人、知人、顧客などを招待するとともに、演奏家たちを雇い、飾りリボンや紙ふぶきを持ち込んで、豪華な仮装舞踏会をホテルの大広間で開催したのです。 これはたちまちブームとなり、中流階級もこぞって同じようなスタイルの室内カーニバルとでも言えるものを劇場やホテルの大広間で開き始め、数年後には仮装舞踏会が上流階級のカーニバルの主流となりました。
一方、新聞を主とするマスコミは、下流階層が参加するカーニバルが、昔のローマやベニスのように、街の中で仮装をつけ、コンフェッテ=confete(紙吹雪)をかけあう、エレガントなカーニバルの復活キャンペーンを始めました。この新聞社のキャンペーンは成功し、それまでの乱痴気騒ぎ的なエントゥルード(Entrudo)は自然消滅していき、街の中の通りで誰もが楽しく遊べる大衆のお祭りとなり、現在のカーニバルの原型となりました。


 歴史的には、ブラジルのカーニバルはこの時代を境に二つの流れに分かれることになります。
ひとつは上流階層が劇場やホテルの大広間などで催す、高級シャンペンを飲み、花を投げあい、華麗な仮面舞踏会、仮装行列、華やかに飾りつけられた山車(カーロ・アレゴーリコ)などに代表されるハイレベルのカーニバルであり、もうひとつはマラカツ=maracatu(打楽器を打ち鳴らす行列)、コルドン=cordão(踊りのグループ)、フレヴォ=frevo(テンポの早いカーニバルダンス)、トゥロサ=troça(どんちゃん騒ぎ)、そしてストリート・カーニバルやエスコーラ・デ・サンバなどに代表される庶民的なカーニバルです。つまり、ブラジルにおけるカーニバルの歴史は、普及し始めた時にすでに社会的格差を如実に示すイベントとなっていたわけです。

カーニバル・パレードで先頭に入場するコミッソン・デ・フレンテの見事な演出は見ものです
sapucai02.jpeg



カーニバル音楽

 さて、ブラジルにおけるカーニバル誕生までの歴史をざっと見たところで、今度はカーニバルとは切っても切れないカーニバル音楽について見てみましょう。
ブラジルのカーニバル音楽として有名なのは「マルシンニャ=marchinha」と呼ばれる、マーチ調の曲です。マルシンニャが生まれるまでは、エントゥルードにせよ、カーニバルの仮装舞踏会にせよ、ワルツ、ポルカ、タンゴ、マシシェ、チャールストンなどの外国の曲が使われていたのです。
初めて純ブラジル製のカーニバル向けの曲が作られたのは1899年で、シキンニャ・ゴンザガ=Chiquinha Gonzaga(1847―1935 作曲家、本名Francisca Edwiges Neves Gonzaga)が作曲したマルシンニャ『アブレ・アラス』(Abre Alas)で、この曲は記録的なな大ヒットとなり、3年連続でカーニバルで歌われました。〔注:アブレ・アラスとはカーニバル・パレードで各エスコーラ・デ・サンバの先頭に入場する10人程度のダンス・グループのこと〕。かくしてマルシンニャは1930年代から1950年代にかけて全盛時代を迎えることになります。

シキンニャ・ゴンザガ 
Chiquinha Gonzaga
 

1920年代に大人気となったシキンニャ・ゴンザガのMarchinha曲 





マルシンニャは、明るく楽しい曲でダンスホールであれ、街の中であれみんなから歌われ親しまれたカーニバル曲ですが、この音楽は現在、サンパウロやリオデジャネイロのカーニバル・パレードで各エスコーラ・デ・サンバが使う「サンバエンヘード」(Samba Enredo)とはちょっと違います。
マリシンニャがダンスホールなどで誰でも参加できるカーニバルで使用される曲であり、ブラジル人の日々の生活に即した内容の歌であるのに対して、サンバ・エンヘードはカーニバル・パレードに出場する各エスコーラが、その年の各エスコーラのテーマに合わせて作詞作曲したものであり、これは”法令によって”ブラジルの歴史や自然などに限られた内容のサンバ曲であるということが義務付けられています。
ちなみに、enredoとはポルトガル語辞典を引くと『小説・戯曲の筋』とあります。つまり、サンバ・エンヘードとは”サンバで綴る物語”という意味になるわけですね。
なので、どのエスコーラ・デ・サンバも、かならずあるテーマにしたがった物語をエンヘードで歌います。
エスコーラ・デ・サンバで最初にサンバ・エンヘードを採用したのは、一説ではリオのポルテーラといわれています(1930年代)。


2009年度のリオのポルテーラ・チームのサンバ・エンヘード



また、ブラジルで最初のエスコーラ・デ・サンバが誕生したのは1928年で、「デイシャ・ファラール」(Deixa Falar)と名づけられたサンバチームは翌年1929年に(Deixa Falar)初パレードを披露し、ついで1930年、1931年にもパレードに参加、1932年にはリオの新聞社がブラジルで初めて開催したカーニバル・パレード・コンクールにも参加しています(出場人数約5千名)。
エスコーラ・デ・サンバ「デイシャ・ファラール」は、現在のエスコーラ・デ・サンバ「エスターシオ・デ・サー」の前身です。
この時期以降、リオデジャネイロ、サンパウロの両市でもって数多くのエスコーラ・デ・サンバが誕生し、それぞれ各市のエスコーラ・デ・サンバ連盟に属し、毎年華麗なカーニバル・パレードをくり広げることになるのです。


カーニバルのカーロ・アレゴーリコ(山車)の進化

1919年のカーロ・アレゴーリコ
アレゴリコ1919

1923年のカーロ・アレゴーリコ
アレゴリコ1923

1937年のカーロ・アレゴーリコ
アレゴリコ1937

1969年のカーロ・アレゴーリコ
アレゴリコ1969

現代のカーロ・アレゴーリコ
アレゴリコ2007

現代のカーロ・アレゴーリコ
現在のアレゴリコ

現代のカーロ・アレゴーリコ
アレゴリコ2008



エスコーラ・デ・サンバ

 ここでもう少し”エスコーラ・デ・サンバ”について説明します。
エスコーラ・デ・サンバがサンバ同好会のようなサンバ・チームであることはすでに説明しましたが、このチームに所属する人たちの多くは、(リオの場合)リオデジャネイロ近郊の、通称ファヴェーラ(Favela)と呼ばれているスラム街に住んでいる人々です。
リオではこのエスコーラ・デ・サンバのパレードはサンボドロームというサンバパレード用に作られた全長1000メートルのスタジアムで行われますが、ここで行われるサンバ・パレード・コンテストで、毎年、エスコーラ・デ・サンバがお互いに華麗なパレードを競いあい、審査員により、下記10項目について厳格に審査されるのです(各項目の最高点数は40点)


採点基準(10項目)

バッテリア=BATERIA(200名程度からなる打楽器隊の演奏)
アルモニア=HARMONIA(リズムと歌と踊りのハーモニー)
サンバエンヘード=SAMBA-ENREDO(テーマ曲の歌詞と曲)
エヴォルソン=EVOLUCAO (踊り)
ファンタジア=FANTASIA (衣装)
エンヘード=ENREDO (パレードのテーマの物語内容)
コミッソン・デ・フレンテ=COMISSAO DE FRENTE(パレードを先導する10名程度の演出グループ)
アレゴリアス・エ・アデレソス=ALEGORIAS ADERECOS(山車と装飾)
メストレ・サラ&ポルタ・バンデイラ=MESTRE-SALA E PORTA-BANDEIRA(旗を持った女性とエスコートする男性の踊りと調和)
コンジュント=CONJUNTO(パレード全体の調和)

◎制限時間(60分プラスマイナス5分を超えないこと)

バッテリア(打楽器隊)のリズム一致と演奏のダイナミックさが決めてとなる
バテリア

ポルタ・バンデイラ(旗手)とメストレ・サーラの優雅さが不可欠
旗手

コミッソン・デ・フレンテは観るものを感嘆させる演出が望まれる
コミッソン

アラ・ダ・バイアーナは数百人のバイアーナ衣装をつけた女性たち
地方のデスフィーレ2

カーロ・アレゴーリコ(山車)はパレードの目玉。趣向を凝らせたものが多い
地方のデスフィーレ



 それぞれのエスコーラは、各自が選んだテーマにそってパレードの趣向を凝らさなければならず、そのテーマは、歴史上の出来事や、歴史上の有名人、ブラジル文学からとった物語や伝説であったりします。 また、テーマは毎年違ったものでなければいけません。
そして、この選ばれたテーマにそってサンバ・エンヘードが作詞作曲され、エンヘードの物語にあわせて5台~8台程度のカーロ・アレゴーリコ(山車)が装飾され、同時に、カーニバル衣装も、テーマの時代や背景や表現したものが製作されるわけです。

 これをもう少しわかりやすく説明すると、たとえばあるエスコーラで『カフェーの歴史』をその年のテーマに選んだとします。そのエスコーラはほかのエスコーラがそのアイデアを盗まないように、登録所で『カフェーの歴史』のテーマを登録します(過去にアイデアを盗まれたことがあったのでしょうね...)。
次に「カフェー」の歴史、特徴などをもりこんだエンヘードが作られます。同時進行形で、『カフェーの歴史』の物語&特徴にあうと思われる、カーロ・アレゴーリコ(山車)、衣装、飾りつけなどのスタイル、色彩、ファッションなどの検討が始まります。
たとえば、最初のコミッソン・ダ・フレンテは赤いカフェーの実が香ばしい炒ったカフェーに変化するさまを赤い衣装からこげ茶の衣装に瞬時に替える演出を考案し、最初のアブレアラス(パレードで最初に出てくる山車とその周りのダンスグループ)は、18世紀にフランス領ギアナからカフェーの木が一軍人によって持たらされたことを表現し、ダンスグループもそれに似合う衣装をつけます。
次のカーロ・アレゴーリコ(山車)は、ブラジルにおけるカフェーの黄金時代(19世紀)を表現し、当時の隆盛とカフェー・ブームで大金をつかんだ人たちの生活を表す、きらびやかな衣装を使い、山車は豪奢な劇場(ベレーン市やアマゾン市にある)などを模倣したものとします。
次はカフェーブームの低落、その次は世界各国で飲まれるようになったカフェー...
という風に、5台から8台のカーロ・アレゴーリコ(山車)とダンスグループをエンヘードの物語の流れにそって装飾し、表現するのです。


リオデジャネイロのカーニバル・パレードは世界最大で、たいへん情熱的、華麗、ダイナミックですが、サンパウロも負けてはいません。 こういった文化的なイベントで競争するというのは、我々にとってもたいへん楽しいことです。
カーニバル・パレードで最高点を獲得したエスコーラ・デ・サンバに対する賞金額は実に1億円以上といいますから、どのエスコーラも必死になるわけです。また、当然、優勝したエスコーラは栄誉も獲得し、次の年のカーニバルに備えるためのスポンサーも獲得しやすくなるというわけです。
もっとも、いくら賞金が1億円以上でも、カーニバルの山車は製作するのに一台が千万円くらいかかるのを最低でも4、5台作らなければいけないし、また4000人くらいいるチーム全員の華麗な衣装も揃えなければいけない(一部は個人負担)ので、賞金額なんかは軽く吹っ飛んでしまいます。もっとも、それは優勝したらの話しなので、各エスコーラとも毎年、スポンサー探しに躍起となります。肝心のお金なしでは何事もできない... これはどの世界でも同じですね。

カーニバル・パレードのアトラクションは、華麗な衣装、豪華絢爛&アイデア抜群の山車、そして、その山車の上に乗って、サンバを踊りながら愛嬌をふりまくサンバ・ガールたちにあります。 このサンバ・ガールは審査員及び観衆の注目をあびることから、各サンバ学校も厳選した美女(モレーナ)を選び、エスコーラによっては有名な女優や美人のモデルなどに依頼(契約?)して出演してもらうことまでやっており、これらの美女たちが華麗な衣装で山車の上でサンバを踊るのは見ものです。


カーニバル・パレードで観衆の注目をあびるサンバガールたち

サンバガール01B
 

サンバガール02B



サンバガール03B


サンバガール04b


サンバガール05b




また、山車の上だけでなくパレードの中にも美女たちはおり、TVカメラなどはこれらの美女をいつも“超”クローズアップで見せてくれます。 (それにしても、よくこれだけ美女がいるものだと思うくらい、次から次へと美女を見せます
サンバガールたちの衣装は華麗ですが、近年流行っているのが(みんながみんなではありませんが)スタイル抜群のこの美女たちが、ほとんど何も身につけない、裸同然でボディ・ペンティングをして、下の方はわいせつ罪に触れないようににバンソウコウみたいなものをつけただけでパレードに出てサンバを踊ることです!  ひどい時は、あまり汗だらけになってサンバを踊るので、とちゅうで取れたり落ちたりする時もあるとか... エッ? (;゜?゜)ノ マジ?
まあ、こんな“衣装(?)”がまかり通るのもブラジルならではのことですね。



話しをエスコーラ・デ・サンバにもどすと、リオおよびサンパウロのカーニバル・パレード出場できるのはスペシャル・グループと呼ばれるトップクラスのエスコーラ・デ・サンバ12チームとセカンドクラスのエスコーラ12、合計24校です。
スペシャルグループと呼ばれるのは質、量、技術ともに優秀なもので、言わばエスコーラ・デ・サンバ“一軍”です。 “二軍”であるセカンドクラスのエスコーラは、一軍に上れるように努力をしています。 パレードコンテストの結果、最下位の点数をとったスペシャル・グループのエスコーラは二軍へ落とされ、それに代わって二軍でもっともパレード成績の良かったエスコーラが昇級して一軍となります。
だから二軍のパレードも、それぞれ一軍昇級を目的とする必死なものですし、一軍のエスコーラは、とくに毎年1位、2位を争うトップクラスのエスコーラは目を見張るものがありますが、スペシャル・グループで下位の方で低迷しているエスコーラは二軍に転落しないように必死の努力をしなkればなりません。 かくしてエスコーラ同士の火花散る競演が、毎年、華やかに豪華に行われることになるわけです。

ところで、“なぜカーニバル・パレードに出場できる、エスコーラはスペシャルグループ12校とセカンドクラスの12校だけなのか?”とある時、私はカリオッカ(リオっ子)のタクシーの運転手さんに聞いたことがあります。
その運ちゃんいわく、“カーニバル・パレードに出場するエスコーラ・デ・サンバは、最低3000名という人員が決まっているので、どこの誰でもが好き勝手にパレードに出場できるわけではない”とのことでした。 つまり、3000人分の(高価な)カーニバル衣装を揃え、5台も6台もの華麗で豪華で千万円くらいする山車をそろえ、またサンバやパーカッションをする人間をそろえ、パーカッションなどの技術的なサポートしたりするのは誰でも出来るものではない、という訳です。
ちなみに、スペシャルグループの中でも大きなエスコーラ・デ・サンバのチーム員数は5000人近くだというから、もう驚愕するしかありません。
このような巨大なサンバチームが一糸乱れずにサンバを踊り、パーカッションをリズムを乱さず一斉に叩き、華麗な衣装や山車で飾りつけサンボードロモで行進するには想像以上の金がかかるということですね。


リオ・デ・ジャネイロのカーニバル・パレード優勝チーム(エスコーラ・デ・サンバ)

 年 エスコーラ名
1998 - マンゲイラ/ベイジャ・フロール(同点)
1999 - インペラトリス・レオポルジーナ
2000 - インペラトリス・レオポルジーナ
2001 - インペラトリス・レオポルジーナ
2002 - マンゲイラ
2003 - ベイジャ・フロール
2004 - ベイジャ・フロール
2005 - ベイジャ・フロール
2006 - ウニドス・ダ・ヴィラ・イザベル
2007 - ベイジャ・フロール
2008 - ベイジャ・フロール
2009 - アカデミコ・ド・サルゲイロ


サンパウロのカーニバル・パレード優勝チーム(エスコーラ・デ・サンバ)

 年 エスコーラ名
1998 - ヴァイ・ヴァイ
1999 - ヴァイ・ヴァイ/ガヴィオンエス・ダ・フィエル(同点)
2000 - ヴァイ・ヴァイ/ X-9 パウリスタ (同点)
2001 - ヴァイ・ヴァイ/ネネ・デ・ヴィラ・マリア(同点)
2002 - ガヴィオンエス・ダ・フィエル
2003 - ガヴィオンエス・ダ・フィエル
2004 - モシダーデ・アレグレ
2005 - インペリオ・ダ・カーザ・ヴェルデ
2006 - インペリオ・ダ・カーザ・ヴェルデ
2007 - モシダーデ・アレグレ
2008 - ヴァイ・ヴァイ
2009 - モシダーデ・アレグレ



リオで各エスコーラ・デ・サンバが華麗さとサンバとドラムスを競い合うのサンボードロモ
sambodromo_noite.jpg

リオのサンボードロモで華麗な行列を疲労するエスコーラ・デ・サンバ「ポルテラ」(2008年)
portela_2008.jpg




グロベレーザ(Globeleza)とよばれる民放TV局のカーニバル・ガール


これはカーニバルのTV実況放送を切り貼りしたような動画


2009年度のリオのカーニバルの様子


2009年度のサンパウロ・カーニバルの優勝チーム「モシダーデ・アレグレ」


2009年度のリオ・カーニバルの優勝チーム「サルゲイロ」



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この記事のコメント
   (゜◎ヽWW/∩ ゜)   サンバ! サンバ!
    (  ( ゚∀゚)彡 )   パシスタ! パシスタ!
     `J( ⊂彡し´
       |   |
       し ⌒J
2010-02-21 Sun 16:01 | URL | もっずぱんつ #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
モッズパンツさん、なかなかサンバお上手ですね♪
2010-03-01 Mon 20:23 | URL | Loby #2xh5UkL6[ 内容変更] | ∧top | under∨
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