SFファンのブログですが、宇宙、歴史、人物などもとりあげています…
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略史-ブラジル日本移民 (後編)
2013-04-14 Sun 23:18
(前編はこちらから)


ブラジル文化への適応と第二次世界大戦

 この時期、日本人植民地はサンパウロ州のノロエステ(北西部)方面に次々と建設されていった。また各地の植民地には移民子弟の教育を目的とした、初等学校が建設され始めた。(注:帰国に備え、主として日本語教育に力をいれた。)1918年には日系で初めての小学校教師が誕生した。隈部姉妹で、リオ・デ・ジャネイロの師範学校卒だった。また1923年には日系で最初の歯科大学卒の歯科医が誕生した。しかしながら、この東洋のエキゾチックな移民たちの増加は、ブラジルの社会に新しい問題の渦をもたらすことになる。


サンパウロ州奥地に伸びるノロエステ線沿いに
次々に日本人植民地が誕生した
noroeste.gif



一方、日本語刊行物は、1916年の「南米」の創刊に始まり、日本人移民の増加にしたがって、次々と新しい新聞や雑誌が刊行されていった。1910年代から1930年代にかけて発行された新聞は、「ブラジル時報」、「日伯新聞」、「聖州新報」、「アリアンサ時報」などの5紙があり、雑誌では、「農業のブラジル」、「波紋」、「ポプラール」、「カナ・ブラジル」、「青空」、「郷友」、「若人」、「力行の叫び」、など15誌がある。
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