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宇宙開発の歴史 Part 3 ”輝かしい月面の一歩 アポロ11の快挙”
2011-06-29 Wed 11:54
前回は、ソ連(現在のロシア)政府が「ボスホート計画」につぐ「ソユーズ計画」を1964年8月に承認し、革命50周年にあたる1967年に有人月周回を、また1970年には有人月面着陸を目標としていたことを述べました。

近代宇宙開発の歴史を見る上で重要かつ忘れてはならないのは、宇宙開発事業というものは、ただ単に技術的にソ連(現ロシア)が優れている、いや米国だといった次元だけの問題でなく、政治的、経済的なウィイトが極めて大きい事業、すなわち、その国の宇宙開発政策・決定および宇宙開発事業への資金投入額によって、発展するか沈滞するかが決まってしまうということです。

初の月周回軌道飛行を成し遂げ帰還したゾンド5号(ソユーズ型無人宇宙船)

7K L1S MIK zond5


ゾンド5号の軌道(クリックすると拡大します)

zond_trajetoria1.jpg



ソユーズ1号の事故

この時期、ソ連の宇宙開発事業は相次ぐ不運に遭遇します。
まず、1966年1月に、それまでソ連の宇宙開発の主力牽引車でもあった第1設計局(注:OKB-1とも呼ばれる。設計局は欧米の航空会社に匹敵するソ連の国営企業。現在のRKKエネルギヤ社)の総責任者(主任設計者、チーフデザイナーと呼ばれていた)コロリョフが直腸癌の手術中に急死し、そのあとを継いだヴァシーリー・ミシンはコロリョフほど政治力もリーダーシップ力ももたなかったこともあり、ライバルである第52設計局(OKB-52)などのほかの設計局(注:ソ連の設計局は欧米の航空・兵器メーカーと同じような国営企業)との競争に真正面から晒されることになりました。

夭折したセルゲイ・コロリョフ(左)と後を継いだヴァシーリー・ミシン(右)

Sergei Korolev      mishin.jpg



そうした中でミシンは一度も無人飛行テストを行ったことのなかったソユーズ宇宙船(注:ソユーズ(Союз)とはロシア語で団結・結合・同盟を意味する)の打ち上げを承認、最初の一人乗り宇宙船「ソユーズ1号」は1967年4月23日に打ち上げられますが、ウラジミル・コマロフ飛行士の乗る「ソユーズ1号」は地球周回飛行には成功したものの、大気圏再突入時に着陸用パラシュートがトラブルのため開かずに地面に激突、コマロフ飛行士が死亡するという惨劇で終わってしまいます。

ソユーズ1号の墜落地点と最初の宇宙飛行中の犠牲者となったコマロフ飛行士

soy1crsh-komarov.jpg




 
 ソユーズ1号の事故によって、続くソユーズ2号及び3号の打上げは1968年10月25日まで延期されることとなりました。
この1年半という空白期間と、次項で見ることになる、月有人飛行を達成するために開発されつつあったN-1型ロケットの失敗は、ソ連にとって取り返しのつかない遅れをもたらすことになります。


実用化に至らなかった幻のN-1ロケット

 ここで、ソ連版サターンロケットとも言えるN-1型ロケットの歴史を少し見てみましょう。
N-1ロケットの開発は月および火星への有人宇宙飛行、宇宙ステーション、大型軍事衛星の打上げのために1956年からスタートしたもので、米国が1961年にアポロ計画を発表した後の1964年に、N-1も月有人飛行をメーンターゲットとするべく目的転換しました。
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